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《Via dolorosa》『苦しみの道』について
http://hdl.handle.net/2298/18232
http://hdl.handle.net/2298/18232aad05912-0bc8-43ae-9065-c41d0c09d0ae
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | 紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2011-03-10 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | 《Via dolorosa》『苦しみの道』について | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題 | Via dolorosa, 苦しみの道, ヴェルレーヌ, キリスト | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
著者 |
大熊, 薫
× 大熊, 薫 |
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別言語の著者 |
大熊, 薫
× 大熊, 薫 |
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内容記述 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 今回ここでとりあげる作品はSagesse第3部のⅡであり、別名Via dolorosa(苦しみの道)と名付けられているものである。この作品の成立年代は1874年6月から7月という説が最も有力であるので、ここでは、その説に従って論を進めていきたい。さて、ヴェルレーヌはRimbaudとの放蕩生活の限りを尽くした後、Monsの牢獄で妻からも、Rimbaudからも見捨てられ、天涯孤独の身となったことを、身に染みて感じるのである。そこで彼の唯一の心の慰めとなったものが、幼い時に学んだキリスト教であった。彼はついに身も心も、救い主であるイエズス・キリストに捧げることを決意するのである。そして1874年8月15日、晴れて聖体拝領を許されるのであるが、この間の様々な彼の心の揺れ動き、過去のいまわしい生活への誘惑と、新しい人間に生まれ変わるという希望、善と悪との戦い、等々、いわば悲愴なまでの彼の心の葛藤を、包み隠すことなく、率直に歌いあげたものが、このVia dolorosaである。そこで我々も、ヴェルレーヌと同様のカトリック信者として、ヴェルレーヌが歩んだ同じVia dolorosa(苦しみの道)をヴェルレーヌと共に歩んでみようと思う。そして、その道のりの過程で、我々はヴェルレーヌの苦しみの源を見ることが可能かも知れない。あるいは、ベルレーヌの内的、神秘的体験に触れることができるかもしれない。そしてそこから、ヴェルレーヌの自己と、神であるイエズス・キリストとの交わりのあり様を、現代に生きる一キリスト信者の立場から論じてみようと思う。 | |||||
書誌情報 |
熊本大学教養部紀要 巻 24(外国語・外国文学編), p. 15-30, 発行年 1989-01-31 |
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ISSN | ||||||
収録物識別子 | 0386717X | |||||
NCID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN00066709 | |||||
フォーマット | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | application/pdf | |||||
形態 | ||||||
3185187 bytes | ||||||
著者版フラグ | ||||||
出版タイプ | VoR | |||||
日本十進分類法 | ||||||
主題Scheme | NDC | |||||
主題 | 951 | |||||
その他の言語のタイトル | ||||||
その他のタイトル | 《Via dolorosa》 salon Verlaine | |||||
タイトル(ヨミ) | ||||||
その他のタイトル | Via dolorosa クルシミ ノ ミチ ニ ツイテ | |||||
出版者 | ||||||
出版者 | 熊本大学 | |||||
資源タイプ | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 論文(Article) | |||||
資源タイプ・ローカル | ||||||
紀要論文 | ||||||
資源タイプ・NII | ||||||
Departmental Bulletin Paper | ||||||
資源タイプ・DCMI | ||||||
text | ||||||
資源タイプ・ローカル表示コード | ||||||
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