@article{oai:kumadai.repo.nii.ac.jp:00024809, author = {吉村, 豊雄 and Yoshimura, Toyoo and 吉村, 豊雄}, journal = {文学部論叢}, month = {Mar}, note = {application/pdf, 論文(Article), 熊本藩領を対象に、近世における耕地開発の動きをみると、近世を通じて畑地・野開畑の開発が新地形態の基軸をなしている。同時に一七世紀から一八世紀前半かけて畑地を田地につくり替える開発も進み、水懸りを得て水田造成可能な開発はこの時期に進行している。一八世紀後半から一九世紀にかけての新地開発は野開を中心とする畑地の増加にあり、畑地・野開畑の田地化(=上畝開)はごく緩慢な増加傾向をたどる。ここに一九世紀に入って水利土木事業が導入される事情もある。一八世紀後半期以降、行政権限・地域運営財源獲得を通じて広域自治団体化する「手永」(郡と村の中間行政区域)のもとで、「零落所」対策を名分に公的資金と水利土木事業が投入され、停滞していた上畝開は一気に飛躍し、水田収益で事業経費を返済する方式が確定する。ここに明治初年にいたる一九世紀には村レベルにおいても「水利土木事業の時代」が現出する。}, pages = {165--191}, title = {一九世紀の新地開発と水利土木事業}, volume = {102}, year = {2011}, yomi = {ヨシムラ, トヨオ} }