@book{oai:kumadai.repo.nii.ac.jp:00025536, author = {Komoto, Masayuki and 甲元, 眞之}, month = {Nov}, note = {application/pdf, 図書の1章, 北部九州と朝鮮との交流関係は縄文時代に遡って連綿と続けられてきたことは、考古学的資料の良く物語るところである。しかし北部九州が東アジアの歴史的な大きなうねりの中に登場するのは、5世紀の第三四半期から6世紀第三四半期と7世紀後半期の2時期であり、しかもこの2時期はいずれも百済の動向と常に歩を一にするという特異な社会状況の中での出来事であった。このことは5世紀後半から6世紀前半期にかけての時期、北部九州で大量に出土する伽耶系・百済系遺物の存在や彼我の墓制の共通性、7世紀後半期における百済系山城の築造などの考古学的事実に如実に示される。これまで論じられることが少なかった熊本県北部に築造された鞠智城についてみて行くことにしよう。}, title = {鞠智城についての一考察}, volume = {3}, year = {2006} }